マウリツィオ・ポリーニ ピアノ・リサイタル
ある音楽関係の本で、ちょっとふざけた調子で「ピアノ界で聖人扱いされているひとたち」というのが挙げられていたことがある。それは4人で、ポリーニ、ブレンデル、アシュケナージ、アルゲリッチ、という面々だった。まあ、なるほどね、というところだろう。この4人が現代のピアニストのなかでひとつ、ふたつ頭の抜けた存在であることはクラシック音楽ファンであれば誰もが認めると思う。
今日は、そのなかのひとり、マウリツィオ・ポリーニが大阪のザ・シンフォニーホールでリサイタルをひらいたので、聴きに行ってきた。S席、ひとり25000円也。
演奏されるのは、オール・ショパン。かなりスタンダードなものが並んでいる。
- ショパン 「前奏曲」 嬰ハ長調 op.45
- ショパン 「バラード第2番」 ヘ長調 op.38
- ショパン 「夜想曲」 嬰ハ長調 op.27-1
- ショパン 「夜想曲」 変ニ長調 op.27-2
- ショパン 「ピアノ・ソナタ第2番」 変ロ短調 op.35
- ショパン 「スケルツォ第1番」 ロ短調 op.20
- ショパン 「マズルカ」 嬰ト短調 op.33-1
- ショパン 「マズルカ」 ニ長調 op.33-2
- ショパン 「マズルカ」 ハ長調 op.33-3
- ショパン 「マズルカ」 ロ短調 op.33-4
- ショパン 「子守唄」 変ニ長調 op.57
- ショパン 「ポロネーズ第6番『英雄』」 変イ長調 op.53
いや、驚いた。ピアノって、あんな音が出せるんだな。「神業」を見てしまった、というかんじだ。
ポリーニが鍵盤をふれると、ピアノ全体が「鳴る」。その一見単純なことに、思わず目を見張る。その「鳴り方」が、ピアノの弦が震えて音が出る、とかいうレベルじゃないのだ。「ピアノ全体」が震えて、輝くような音が放射される。これまで数え切れないほどのピアニストを聴いてきて、音の美しさや表現の繊細さに驚いたことはあった。しかし、「ピアノが鳴っている」こと自体で驚かされたことなんてなかった。しかも、その「鳴り」は、強音のときだけあらわれるのではない。ちいさな、ちいさな音が爪弾かれるときにも、ピアノ全体が震えているから「神業」なのだ。
そんな驚異的な音で描かれる音楽は、この世の浅薄な喜怒哀楽なんてものからは完全に切り離された、絶対的存在としての芸術があるのだ、ということを否が応でも思い知らされる力を持っていた。
ショパンの音楽に関するキーワードとしては「感傷的」といったものが一般的だと思うが、ポリーニの手にかかると、その音楽が、まるで、荘厳な抽象彫刻の如く我々の眼前に立ち上がる。
細部の表現まで、殆ど人知を超えたレベルで磨き抜かれているが、いちいちそれらを取り上げて、ああだ、こうだ、と言う気持ちも瞬時に吹き飛ぶ。ただただ、その「とてつもないもの」の前で耳を澄ませ、目を見開き、息を呑むばかりだった。
コンサートの前半は、最後に演奏されたピアノ・ソナタ第2番が圧巻。特に終楽章の疾走は、エネルギーに撃たれて、聴いているだけで頭が真っ白になる程。
コンサート後半は、最初のスケルツォに圧倒されたが、子守唄の静かで、澄み切った歌も素晴らしかった。そして、それらにも増して印象的だったのが、「英雄ポロネーズ」。ショパンの書いた音楽の中でも特筆すべき華麗な曲であることは承知していたが、同時にこんなに「巨大な」曲だったなんて。
アンコールは、4曲。エチュードの第12番「革命」に始まって、バラード第1番、エチュード第5番「黒鍵」、前奏曲第15番「雨だれ」と、さながら「ショパン名曲全集」。
特にバラードの第1番では、なんだかもう、涙が出てくる程、心が震えてしまった。なんだろう、その音楽の存在に、生きる希望すら感じたんだよな。上手く説明できないけど。
ポリーニの演奏はこれまでCDでは聴いたことあったのだけれど、彼の「音」のすごさというのは、ライブで聴かないとぜんぜん解らない。そしてその「音」を一度聴いてしまうと、音楽というものに対する価値観さえ大きく変わりかねない。「神業」を目の当たりにする、殆ど「奇跡的」経験だ、となんのためらいもなく言えてしまう、やっぱり、おそろしいピアニストだ。


