22 May
2008

ぜんぶ初物。

さすがに、これだけクラシック音楽のCDを買い漁り、コンサートにも足を運んでいると、よほど特殊な演奏会(例えば現代音楽ばかりとか)でもない限り、一晩のコンサートで取り上げられる演目のどれもを聴いたことがない、ということはまずない。
だから、今月の大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会のパンフレットを見たときには、ちょっと驚いた。うぉっ、全部知らんぞ。なんだこのマニアックな選曲は。

自分の持っているCDのデータベース(最近管理しきれなくなったのでそんなものをつくったのだ)を調べてみたら、バルトークのヴィオラ協奏曲だけはCDを持っていた。収録された別の曲を目当てに買ったものだったので、聴いた記憶がなかったようだ。コンサート前に聴き直しておこうかとも思ったのだが、「待てよ、まったくの初心でコンサートに臨むというのも新鮮でいいじゃないか」と考え直して、敢えて事前学習無しに行くことにした。

指揮者は、1964年生まれの若手、ドリアン・ウィルソン。これまたはじめて触れる御方だ。

最初のメンデルスゾーンを聴くに、この指揮者はかなりきっちりと…「律義に」といってもいいくらい…リズムを刻ませる。ただそのリズムは、トントントン、というかんじで全然重くはない。それが、若いメンデルスゾーンが書いた快活で明解な音楽に馴染んで聴きやすい。
第1交響曲も、いつもながらに、「苦悩ってなに? 食べられるの?」的メンデルスゾーン世界。でも、普通の人は、却ってこんな音楽書けないんだよね。なにか苦悩の跡をいれたくなるのが普通だもんね。

続くヴィオラ協奏曲は、第一楽章を聴いている間は「うーん、地味だなぁー」と感じていた。ヴァイオリンのような華やかさはなく、内へ内へと沈み込んでいくようなヴィオラの響きが独特の感触だ。
ところが、その感触が、しばらくすると心にずんずんと浸み入ってくる。ほとんど「瞑想的」と言ってもいいような第2楽章のヴィオラの歌に、息を詰めるようにして耳を傾ける。静かに自分の心と向かい合うような気分。
バルトークらしい個性的なリズムが楽しい最終楽章は、いつもは内向的で無口な人が年にいっぺん深酒してはしゃいでいるのを傍で見ているような面白さがあった。
なかなか聴き応えのある曲だ。さすがはバルトーク。

最後のレスピーギは、一言でいえば「超お下品」。その、振り切れてしまったお下品さが、もう「痛快」の域に達している。彼一流の絢爛豪華で濃密なオーケストラの響きで描かれる、怪しすぎるアラビア情緒。絵に描いたようなエロチシズム、絵に描いたような野蛮な踊り。君のその卓抜したオーケストレーション能力をもうちょっと高尚な世界に活かせまへんのか、と苦笑しつつも、そのあまりの俗っぽさに、徐々に聞き手自身も毒されてくるのに気づく面白さよ。
ウィルソンさんは、明確な指揮でかっちりとオーケストラの乱痴気踊りをまとめあげ、見通しよくオーケストラを整理しながらもしっかりエネルギーを客席まで伝えていた。お見事です。

初物ぞろいの新鮮なコンサート、楽しゅうございました。


Posted by horita at 23:00 | Comments (0) | Trackbacks (0)
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