11 April
2008

おっと、そう来たか

カナダのケベック州にモントリオールという都市があって、なんと意外なことにここはパリに次ぐ規模のフランス語都市圏なのだそうな。だからなのか、ここのオーケストラ「モントリオール交響楽団」はフランス音楽で定評を得てきた。フランスのオーケストラが国際化して、いかにもフランスという音色が薄くなってきたといわれているなか(それでもパリ管弦楽団やフランス国立放送フィルの音色はかなり独特だと思うが)、「フランスのオーケストラよりフランス的」とまで宣伝されていた。実際、2002年までトップをつとめていたデュトワとの演奏のクオリティはすごい。

そのモントリオール交響楽団が、2006年からトップに就任したケント・ナガノを指揮者として来日したので聴きにいってきた。演奏会のプログラムは前半がフランスものでドビュッシー、後半が趣向を変えてR.シュトラウスなのだけれど、両方とも「情景描写音楽」という共通項をもつところが面白い。

さて、最初の「牧神の午後」だが、音楽が始まってしばらくすると、「あれ?」と思わずにはいられなかった。事前に想像していた音とずいぶん違うような。
響きのバランスとしては基本的に弦楽器が主体で、しかも結構、表現の押しが強い。低音をグゥンと響かせるところなどもあり、ねばっこい“うねり”さえ感じさせるくらいで、いわゆる「フランス的」というのとは…つまりパステルカラーの靄のような軽く滑らかな音の作りとは…遠い。指揮者も、要所要所でかなり鋭角な表情付けを要求する。
聴き手として準備していた構えでは対応しきれないところに球を打ち込まれたかんじで、体制をたてなおすのにちょっと時間がかかってしまった。

しかし、「海」が始まったころには、うまく音楽を受け止められるようになってきていた。ナガノさんは、弦楽器にアグレッシブな表情を要求し、その勢いで一気に音楽を進めていく。フレーズとフレーズの間を詰め気味にどんどんテンポよく走っていくことで、スポーティーとさえ言いたくなるような軽快さを醸し出しているのが面白い。やや波の荒れた「海」ではあるが、深いことを考えずその流れに心と体を預けてしまえば、なんだか楽しくなってくる。

おそらくナガノさんが主席指揮者になって以来、前任者のときとは異なった性格のオーケストラへと変貌を遂げつつあるのに違いない。そんな彼らの目指す方向は、実をいうとドビュッシーよりは、後半のR.シュトラウスの音楽性に合致しているんじゃなかろうか、と感じて、俄然、後半のプログラムが楽しみになった。

で、その「アルプス交響曲」。冒頭の夜明けの描写から、なかなかいい雰囲気だ(私はこの音楽の「日の出」のシーンのドラマティックさが大好き)。ナガノさんの熱のこもった指揮に引っ張られてオーケストラがとても頑張っている。やや金管セクションが弱い気もするが、そこは前のめりな弦楽セクションが気合いでカバー。アルプス山頂に到達したときの(第一の)クライマックスも説得力があった。
その後、突然の嵐に襲われる(第二の)クライマックスに突入する直前の、一転俄かにかき曇り、日がぱっと雲に隠れ、湿度が急に上がる様子の描写も素晴らしかった。ナガノさんが空中ですっと手の平を180度反転させるや否や、ホールの空気がざっと変わったのだもの。(まあ、その嵐のあとから終結部まではちょっと息切れしたかな…)

アンコールは、「さくらさくら変奏曲」(編曲者不明。日本人ならお馴染み「さくらさくら」を、弦楽オーケストラとハープが映画音楽の如くムードいっぱいに歌いあげる面白い小品)と、ビゼーの「アルルの女」から「ファランドール」。「アルルの女」に関してはデュトワの指揮したこのオーケストラの演奏をCDで持っているが(ちなみに、「牧神の午後」も「海」もね)、やはり同じオーケストラとは思えないくらい音色が違う。

どうやら、モントリオール交響楽団はナガノさんのもとで大きく方向転換をめざしているような印象をうけた。いまはその過渡期のようでもあったので、機会があればもう何年か後にも彼らの顔合せでいろいろな作品を聴いてみたいな。


Posted by horita at 23:30 | Comments (0) | Trackbacks (0)
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