次は夏休みかな
また文楽を観てきた。初めて観に行ったのは昨年の夏だったと思う。そのときは、学校の引率する団体客と一緒に観せられるような教育プログラムを見に行ったのだが、初心者の私には、そのときの丁寧な解説も含め、とても楽しかった。それ以降、別の機会に観に行った折、意外なところにあった文楽界とのツテを頼りに楽屋案内などをしてもらう機会にも恵まれ、
「面白い。これは、年に数度は来なくては」
と思っていたのだった。
今日は、国立文楽劇場4月公演の初日。私はその午前の部に足を運んだ。
- 玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)
- 心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)
なによりも驚くのは。この数時間の公演の中で登場する「人間国宝」の数だ。なんと4人もいる。私がこれまで直に芸を観たことのある「人間国宝」は坂田藤十郎のひとりだけ(桂米朝の落語のチケットも買ったことあるのだが、怪我で休演になった)なのに。ちなみにその4人とは、「竹本住大夫(義太夫)」「鶴澤寛治(三味線)」「吉田蓑助(人形遣)」「吉田文雀(人形遣)」。関西に住んでいると、NHKの地方ニュースの時間などに結構よく聞く名前だ。
前半の「玉藻…」からは、「清水寺の段」「道春館の段」。皇子の意に背いて怒りをかった美人姉妹が、どちらが首を刎ねられるかを双六で決めるという、なんだか荒唐無稽なお話に、文楽らしい濃い義理人情の物語が絡まる。
この二段目で、鶴澤寛治登場。一発目の撥でびっくり。他のどの奏者よりも、張りがある、凛とした大きな音。脳の「人間国宝フィルタ」を通して聴いているからでは決してない。おそらく、一番御歳を召しているはずなのに、一番音が力を持っているなんて…。やはり、こういうものはフィジカルなパワーとか小手先のテクニックとか、そういうのとは違うんだろうなぁ。
舞台には、吉田文雀。舞台の奥のほうに控えることが多い、あまり派手な動きのない役だったけれど、座っている姿に品を感じさせつつ、物語の推移にしたがって感情を表現するのは、さりげなくみえて、難しいのに違いない。
後半の「心中…」は、近松の心中物。姑からの虐めに悩む妻(お千代)と、妻を愛しているが、養子である自分を我が子以上に育ててくれた母親への不義理ができぬ夫(半兵衛)が心中に至るまでの物語。
ここで竹本住大夫登場。これまで、いろいろな大夫の語りを聴いてきてつくづく感じたことは、「なるほど、それぞれの大夫でかなりハッキリと“芸風”ってのがあるんだな」ということ。圧倒的な声量に物をいわせるひと、リズム感の良さを前に出してくるひと、細やかな表現力で聴かせるひと。住大夫はその中でも「表現力で聴かせる」という面で、確かに頭ひとつもふたつも突き出ているように感じた。
そして一方、人形の方では、吉田蓑助のお千代と桐竹勘十郎の半兵衛がとにかくすごかった。最後の心中の場面、刺し違えて死ぬところなんて、「それぞれの人形が人間以上に人間らしく見える」どころか、それ以上の、なにやら神秘的なものさえ感じさせるエネルギーが人形から放射されていた。なぜたった二体の木製人形の“人形劇”でこんなに涙が出るのか…。
やっぱり、文楽は楽しく、深く、神秘的。そんなことを再確認し、また来るぞと心に決めたのでありました。




